でこぼこ肌を作らない

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ニキビ跡は、つらいですよね。
ニキビとニキビ跡で、お肌はもうでこぼこ状態です。
しかし、ニキビあとを和らげることができるのです。
まず、はじめにニキビが気になるからといって、潰して膿を出すなんてことはいけません。
ニキビによる膿がたまって、肌がポコっと膨れ上がった状態を、袋で例えてみましょう。

スーパーの袋に、たくさん買い物をして詰め込んで、袋はパンパン状態です。
しかし、家に帰ると冷蔵庫に冷やすために中からとりだしますよね。
そのままら袋を放っておくと、空っぽの袋の中にはホコリが溜まります。

しかしお水を袋いっぱいに入れておくと、水の上にホコリは浮いたとしても、中まで入っていきたくさん溜まっていくことはありませんね。
またお水を入れた袋に、ガムテープをしてフタをしたとします。
そうすると、ホコリは水の上に浮くことすらできません。
その状態が、まさにニキビあとにも言えるのです。

まずニキビ跡は、膿が出きってしまった場合に出来ることがおおく、表面は乾燥してしぼんでいると思います。
肌を乾燥させてしまうと、空っぽのニキビ跡の中には細菌も入り放題です。
そこに加えて、汚れや皮脂も溜まってしまいます。

そうすることにより、ニキビ自体の炎症はなくなっているのに、赤くなったり、黒くなったりしてしまい、更に跡としてくっきりとわかるようになってきます。

ではニキビ跡を和らげる方法へと、入っていきましょう。

まず、顔をしっかり洗顔します。
洗顔の時はしっかりと泡を立てて、優しく撫でるようにあらいます。
理由は、ゴシゴシあらうことにより、皮膚が一緒に動いてしまい、肌細胞の間のキメの部分が洗えなくなってしまうからです。
なので、泡立てたその泡で、キメの部分を優しく洗ってあげます。

次に保湿です。
まだ出来たばかりの跡の場合、実はニキビあとのようにみえているだけで、まだ傷状態の場合もあります。
そのため化粧水は、無添加の刺激がないものを選び、しっかりと保湿してあげましょう。
そうすることにより、肌本来の修復機能も盛んに行われるようになり、跡となっている部分を修復しようと働きかけます。
水分は肌にとっても、とても大切なものなのです。

そして次に、乳液で膜を貼ります。
この時に気をつけなければいけないのが、ニキビの進行をおそれて、乳液自体を全く塗ろうとしないことです。
そうするとせっかく肌に入れた化粧水も、蒸発したり乾燥したりして、肌から失われてしまいます。
そうなれば細菌はうようよ状態に。
おそれる気持ちはわかりますが、膜張り役の乳液で、きっちりフタをしてあげましょう。

こうやってたっぷりの保湿をしているうちに、肌細胞が活性されてきて、生き返ってきます。
そうなれば、肌が勝手に修復をはじめるので、ニキビ痕も少しずつマシになっていきます。
しっかり保湿を保てるように、皆さんも保湿はしっかりするように心がけましょう。
美は1日にしてならず。
頑張って再生させてあげましょう。

参考サイト:ニキビ跡を消す治療方法!クレーターや色素沈着を治す!

あごニキビをニキビ治療薬で治しました

あごニキビができて困ったことがあります。大人になってからあごにニキビができるなんて思ってもみなかったけれど、一時期あごにニキビができて困りました。

大人ニキビと呼ばれているものでした。はじめはあごに出来る湿疹かなにかかと思って皮膚のお薬をつけていたんですが、その薬でそれが治っていたので大人ニキビだと分からなかったのです。肌の炎症がひどくなったのか湿疹なのかそのどちらかなんだろうな…と思っていました。

だけどそれが大人ニキビであるということがわかったのです。あごばかりに何度も何度もニキビができたから変だと思って調べたら、単なるあごニキビでした。今ではニキビは病気だと言われていますが、昔はニキビが病気だなんて感じはなく、ただのニキビだと感じていました。

治しても治しても繰り返しできるあごニキビが嫌でたまらなかったんですが、ニキビ治療薬を買ってきて小まめに付けていたら自然とあごニキビができなくなりました。そのあごニキビ治療薬というのがメルラインです。

ニキビもとびひのように引っかいたり何かしたときに出る体液が他の部分につくとできやすくなるんでしょうか。ニキビ治療薬をこまめに付けてあごニキビを引っかくことが無くなってからあごニキビがずいぶん減った気がします。

なんで結婚できないのか。

もう40歳も超えているのに結婚できないどころか、彼女もできません。なんで結婚できないのか、その理由もわかりません。熱意が足りないと言われるかも
しれませんが、自分なりには、それなりに努力してきたと思っています。若い頃には社会人サークルという物に入って、密かに婚活活動をしていました。
社会人サークルは表向きは男女関わらず、みんなで楽しく遊ぼうよの会なんですが、実際は性欲むき出しの男女の婚活の場です。
自分もその戦いに一応、参加したのですが、やる気が無かったのか、不細工だからなのか結局は彼女は出来ませんでした。
30代過ぎからは、お見合いパーティーにも参加を始めました。こちらは思い切り婚活の場で、如何に多くの異性のメールアドレスをゲットするかの
草刈り場みたいな場所でした。自分も頑張って異性の連絡先を収集したのですが、連絡しても返事のないことも多く、6000円とか7000円とか出して
参加しても返事のないメールアドレスを集めても虚しいだけでした。
40過ぎてからは、最後の手段の結婚相談所に入りました。しかし結婚相談所に来る女性というのは超現実派が多く、その目的はズバリ金です。
彼女たちは年収1000万超えの医者とか弁護士とか一流企業の社員とかが目的で、年収400万位の自分では箸にも棒にもかからないという感じでした。
色々やっても結局は無駄で、今では半分は諦めの気持ちです。

引きこもっていた

 引きこもってネットゲームをしていた。オンラインゲームのバトルフィールドをやっていました。バトルフィールドの面白いところはネット上のゲーマーと協力、対戦して戦争の疑似体験をすることができます。また日本人だけでなく英語圏や中国語圏の方、ロシア圏の方とも対戦ができます。
 面白いのはゲームの内容自体ではなく、各国の特徴的な考え方や行動原則が学べるところであると思っています。中国人はすごい自分勝手で小皇帝という言葉にも表されていますが協力という言葉がありません。「自分が自分が」と他人を押しのけていくプレイスタイルで、仲間のために何かをするという協調性がほとんどありません。それは中国人はだめだ、という話ではなく、各国の行動原則が原理が身をもって簡易に理解する、体験することができるということが非常に有意義で、とてもゲームとは私には思えません。
 またボイスは通信できませんがチャット文字はできますので、中国語も完璧には分かりませんが、何となく言いたいことは分かるようになりました。英語も生の英語ですし、どちらかというとゲーム中の共通言語は英語ですので英語の勉強にもなりますので、英語のスキルアップにもつながる有意義な行為であると思っています。

お気に入りの雑貨屋さんについて

自宅の近くにカルジーナの森という雑貨屋さん兼喫茶店をしているお店があります。そちらで先日熊の絵を描いたカプチーノを飲みました。

とても可愛く絵が書かれていて飲むのがもったいない様な気がしました。カプチーノを頼んだらクッキーも付いてきてとても美味しかったです。

またその中のお店でネックレスや靴下やピアスや色んな雑貨が置いてあるお店があって娘はそちらに置いてあったピンクや青の三角の形が付いたネックレスと赤と黒のクロスがしてある靴下があってそれが気に入って欲しいと言ったので購入しました。

別のお店では携帯カバーを作れるお店があってそちらでカバーを作りたかったのですが行った時間が遅かったのでそちらでは作る事が出来ませんでした。なので羊やうさぎの銀で出来た物を購入して100均で透明なカバーと接着剤を購入して自宅で以前に買ってあった薔薇の青とピンクの物があったので携帯カバーに真ん中に羊を置いて右下にうさぎを置いて右上に薔薇を接着剤で付けました。

またリソリソという雑貨屋さんもあってそちらには可愛い洋服や革製品で出来た財布や食器類を売っているのと軽い物を食べれる喫茶店があります。

そちらでは赤のカーディガンが可愛くて思ったより値段が安かったので購入をしました。こちらのお店の食べ物や飲み物は余り美味しく無い様に感じました。

面倒くさい

自分自身、ついつい「面倒くさい」なんて口にしてしまうことが多々あります。
私は2児の母ですが、小学生と中学生になる息子たちも、
よく「面倒くさい」と言います。

宿題が面倒くさい。ランドセルを自分の部屋に持ってくのも面倒くさい。
算数の文章題が面倒くさい。国語の漢字ドリルが面倒くさい。
こんな感じです。

確かに世の中には面倒くさいことがたくさんあります。
というより、ほぼ面倒くさいことで成り立っているのが人生です。
私の母に言わせると、「面倒くさい」なんて親が言うものじゃないと怒られます。
もちろん、私自身もいい言葉だとは思っていません。

でも、面倒くさいからって、やらないわけじゃない。
面倒くさいと言いつつ、ちゃんと日常生活を送っているわけです。
私はこう思います。
「人生って本当に面倒くさい。でも、面倒くさいから面白い」

子供たちが、反抗して「面倒くさい!」と言うときは、
私は必ずそう言います。
「生きてること自体、面倒くさいことだらけ。でも面倒くさくない人生なんて
たぶん楽しくないよ。だから面倒なことを楽しみなさい。」

言葉だけを取り上げると、誤解されてしまいそうですが、
汚いものを美しく見せる人生よりも、
汚いもを「汚い」と認めながら、それとどう向き合うかを考えるほうが
ずっと自然だし、潔いと思うのです。

だから私は文章書くのも嫌いではないのです。
文章を書くなんて面倒くさいことですが、だからこそ楽しいのだと思います。